noboribetsuのブログ

車中泊で気の向くまま諸国漫遊

64目(7/19) 下田観光と西南伊豆半島巡り

今朝の目覚めは、道の駅 開国下田みなと
伊豆半島 下田にある道の駅
朝から南国のきつい光を浴びて一挙に車の中が暑くなり起きるしか無い。
ちなみに、寝る前にうんとエアコンを効かせ、体を冷やしてから切って寝ている。
もちろん寝る時は窓を開けるが・・・。
でないと、かけたままだとアイドリング状態なので車が振動し、もろ頭まで振動するので寝られない。よくエンジンをかけたまま寝られるものだと感心する。
ちょっと寝不足気味だが出発。
先ず、下田市内の観光へ
ペリー艦隊が来た港にペリー提督の記念碑が

小さな港で今はレジャーボートが係留されてます。

ペリーロード
ペリーが来て行進して通った道。

当時の面影が残る町並みだ

この道を通って米国の一時居留地となる了仙寺へ向かったとされる。
道行く人々はさぞかし異国人に驚いただろう。
了仙寺・・・日米和親条約の舞台となったお寺


正面上に当時の風景の再現図が

ついでにこちらは日露和親条約の舞台となった長楽寺

米国が日本と和親条約を結んだ事を聽いて我もと後でやって来て同じ事を日本に要求。
但し、この時結んだはずの日本の北方四島と樺太領有権を太平洋戦争直後のドサクサまぐれに火事場泥棒される。そしていまだにほっかむり。彼の国は、こういう国なのですね。
次に宝福寺

勝海舟が、四国藩主の山内容堂に坂本竜馬の脱藩の許しを乞い、認めてもらった所。

容堂は勝が飲めない事を知って大きな盃を出し飲み干せば願いを聽いてやると約束して、勝が杯いっぱいの酒をイッキ飲みしたそうな。
これがその場の再現

前に三段の杯の見本がある。

ペリーの賄い婦をさせられた元芸者の唐人お吉の墓もあった。

外人のお妾になったばかりに後でみんなから差別を受け川に身を投げ非業の最後を果たしたと言う。
更に南へ向かい伊豆半島最南端の石廊崎へ行く。
途中の海岸で撮影。

この伊豆半島南部は、亜熱帯でソテツの様な木が自生している。
植生が違い日本では無いような印象を受ける。

石廊崎灯台は、途中の周遊観光船波止場に駐車してそれから歩いて30位行った半島突端にある。
まず、駐車場に停めると役の行者像が

超能力を持っていたそうな・・?

上り坂を上って行く

途中で見える海面が鮮やか

灯台が見えて来た

灯台に到着

更に進んで行くと突端が

ここの手すりの左下に下りると熊野神社がある。

この先に行くと本当の突端です。下は絶壁

突端からの風景
素晴らしい景色です。

岩にぶち当たる波しぶきが豪快です。
霞んで見えにくいが遠くに伊豆七島が・・

左から 利島 神子元島 そしてH君の青春時代の憧れの聖地・新島です。
後ろを振り返ると先ほどの熊野神社が

中には、例の行者象が

そして伊豆半島西岸沿いに北へ上がり途中で修善寺→三島と来て1号線を東京方面に戻り箱根峠へ向かう。
本日の宿泊先は、道の駅 箱根峠

その名の通り国道1号線にある箱根峠の道の駅。
こんな山中の国道は、たとえ国道1号線と言えど交通量はほとんど無い。
もちろん幹線道路は東名高速。
わざわ物好きにこんな峠を国道で通るのは観光目的の車位だ。
休憩の為、わざわざ東名を下りてこの道の駅にやってくるトラックもないだろう。高速は高速でサービスエリアを使うはず。
夜9時現在車は2台だけ駐車。1台は人気が無い。来たときからずっと止まっており、窓を閉め切りエンジンもかかっていない。
たまに車が来るがトイレ休憩で泊まるような車はない。
ということは自分1人だけ?
(ちょっと寂しいではないかい。)
しかもこの道の駅は箱根峠のほぼ山頂にあるので吹く風が冷たく涼しい。高原の空気ですばらしい。今でもエアコンかけず、窓を開けているだけで秋の様な清々しさ。
眼下には芦ノ湖が見える。

残念ながら富士山は雲に霞んで見えない。
経路 茶◯ → 灰◯


走行距離 160km