noboribetsuのブログ

車中泊で気の向くまま諸国漫遊

71目(7/26) 養老の滝と自宅へ

今朝の目覚めは、道の駅パレットピアおおの。

岐阜市の直ぐ西隣りの大野町にある道の駅。
今年7月1日開業ホヤホヤの道の駅。朝見ると泊まっていた普通車は自分含めて3台。他に長距離輸送トラックが4台。

トラックと障害者用も含め250台停車出来る道の駅としては大規模の割に車の数が少ない。
出来たてのせいであろうか。おかげで静かに寝られた。
さて、今日は旅行の最終日である。岐阜県なのでまだ自宅まで100Km以上あるのに、やっと帰って来たという安堵感を感じる。北海道旅行という距離感から来るのだろうか。
今日の最初は養老の滝。居酒屋ではありません。
養老町に到着。

駐車場に車を止め坂道を歩いて登る

辺りは緑と小川の流れてマイナスイオンいっぱい。命を洗濯されているような気分。
カエデが多いので秋深まった季節に来ると又素晴らしい紅葉を楽しめそうだ。
登る途中に養老神社がありそこに菊水泉と呼ばれる水が湧き出ているところがある。

昔、源しょう内という貧しいが親孝行な木こりがいて酒好きの年老いた父親の世話をしていたそうな。あるとき岩壁から流れ落ちる水が酒の味がするので汲んで持ち帰り父親に飲ませたそうな。父親はたいそう喜んだそうな。
説明文・・

神社を後にしてズンズン上って行きます。


見えました。

養老の滝。

近くにいると波しぶきによって生ずる風が涼しく気持ちがいい。

滝の近くだけ風が吹いている。
皆さんもご一緒に・・

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帰りに坂の途中にある観光センターへ寄ってみる。

何か記念になるものをと思い、向かいの店で養老サイダーを頼んで飲んでみる。

乾いた喉に炭酸の効いたサイダーは生気を取り戻してくれる。
明治23年 日本最初のサイダーだそうな。
昔は、東の三ツ矢、西の養老サイダーだったそうな。
ちなみに賞味期限過ぎてるが・・・問題なく美味しかった。


次は帰る道の途中にある関ヶ原合戦上を見学する。

まずは、関ヶ原町歴史民族資料館を見学。

ここで、合戦当日の各陣営の動きの説明をビデオ解説でみる。
この狭い野原に当時両軍合わせて15万人が集結して戦い5~7千人が死んだと思うとその壮絶さは想像し難い。
それがたったの1日で開戦がはじまりその日の夕方には勝敗が決まり、後の徳川300年が続いたのだからほんとに天下分け目の関が原である。
この時徳川家康59歳というから当時の平均年齢からいると隠居していても不思議でない歳なのに、現役で戦闘の最前線にいたのだから大したものだ。
決戦の地

石田三成の陣は小高い山の上

ここからだと戦況が手に取るようにわかる。
こんな感じで・・

一方、徳川の陣
平地にあり見渡せない・・

ここには墓碑が

東首塚

この木は合戦当時からあった木で、合戦を見て来た生き証人(木)である。

関ヶ原を後にして帰宅の道につく。
帰宅途中の稲穂の成長・・・

旅行へ出発した当時はまだ田植えが済んだ頃。そして今は稲穂が見えだしている。
飛騨高山に行ったときには田植えをしていたな。
そう思うと、長いこと旅行へ行っていたものだ。
そして無事、自宅へ到着。暑いな~。
ただいま しげみ。覚えているかな。もう1歳になったんだね。
と・・・不審そうな顔

あんたにもおみやげ買って来てあげたよ。はい、またたびの木。

???無反応
洋種のネコには効かないのか???
経路 青◯ →黒◯

走行距離 156km
これで今回の北回り日本一周の旅は終了。
プログもこれで一旦区切りとさせていただきます。
応援してくださった方、コメントをいただいた方、本当にありがとうございました。