noboribetsuのブログ

車中泊で気の向くまま諸国漫遊

13日目(5/29) 西会津→会津若松市

((データ通信量が月末でギリだったのでProgをアップ出来ていなかったが、本日5/30山形県米沢市のネットカフェにてアップしている。))
今朝の目覚めは、道の駅_にしあいず(福島県)))
日中は夏日の様な機構だが、夜は肌寒く窓を閉めて寝ないと寒さで明け方早く目が覚めてしまう。だから最近窓を閉めて寝ている。
なので、トラックのエンジンアイドリング音はするがあまり気にならなかった。
朝起きると雲海の中でとてもすずしかった。

今日の観光は会津若松である。
戊辰戦争の舞台であった土地でもあり、会津藩松平家本拠地でもあり白虎隊でも有名なこの土地は見るところが多い。
まず最初は朝も早いので入館する必要の無い白虎隊が自害した飯盛山へ。

階段を登って行った一番奥にあった。
こちらが、自刃の場所。

石碑が立っており鶴ケ城方向を見ている姿。
銅像の後ろから。あちら約3km先に鶴ヶ岡城が見える。

当時は鶴ヶ岡城が燃え陥落したと思い込み、とうとう城も陥落したと思い16~17歳で編成された隊員20人が自刃。内1名だけが助けられえて生き残ったそうな。
こちらは19士の墓。

こちらは、1人生き残った飯沼貞雄の墓。

彼の話により白虎隊の壮絶な結末が明らかになったと言われている。
直ぐ横には、江戸時代中期の仏堂のさざえ堂がある。

上り下りが螺旋状になっており同じ所を通らない世界的に珍しい建物。
弁天洞門

戊辰戦争の折、戸ノ口原の戦いで傷ついた白虎隊少年達は、この洞穴を通って飯盛山へたどり着いたと言われている。
次は、直ぐ近くにある旧滝沢本陣

参勤交代や領内巡視などの際の殿様の休息所。
戊辰戦争の際に本営となり白虎隊もここで命を受けて、戸ノ口原戦場へと出陣した。
砲弾の跡や刀傷の柱などが生々しくそのままで残っている。

刀傷などは、触ってみると結構硬い柱なのに割合深く削り取られていた。これでは人間など骨まできれいに切られだろう。
会津武家屋敷

会津藩家老 西郷頼母親のり(たのもちちかのり)の邸宅


マネキン人形でその次代の風景を再現しており、外国人にはとてもウケる展示内容。
こちらは西郷家の養子となった西郷四郎の銅像。

四郎は柔道の達人で後に姿三四郎のモデルとなったそうな。
こちらは表玄関。奥方が迎えてくれた。

この家の主に謁見した。

奥方が奥の間を紹介してくれた。

こちらは外から望む

自由に使っていいよと言われたが、丁重にお断りした。

ユニホーム

直ぐ近くに天寧寺があり近藤勇の墓が祀られていた。

横には北海道 五稜郭で殉死した土方歳三の慰霊碑も立っていた。

寺にはいっぱいの墓が立っていたが木々が生い茂る奥深い所にひっそりと立っていた。道案内の表示がなければたどり着けないだろう。


最後に鶴ヶ岡城
ん・・立派すぎる。再建築しているから

天守閣より見下ろす

明治政府の命により取り壊されたが再興された。
会津っ子、明治政府に破れた怨念が感じられる力の入れ様。
刀や甲冑がたくさん展示されており外人には大変ウケるだろう。
こちらは、ご存知NHK大河ドラマでやってる八重の桜の新島八重

地元、日新館砲術教授だった兄の覚馬に銃の手ほどきを受け戊辰戦争の時は、刀と銃で武装し日本のジャンヌ・ダルクと呼ばれている。
ドラマの女優をもっと合わせんといかんな。会津っ子の反感買うかな?
戊辰戦争で破れた後は京都へ移り新島襄と出会い結婚し同志社大学を作った。
本日の夜食は本場の喜多方ラーメン

麺よりも口に入れると、とろけるような焼豚と味が染み込んだ半熟たまごが絶品であった。
本日の宿泊先は、道の駅 会津柳津(福島県)
会津若松より西へ20Km程行った柳津町。
幹線経路から外れた山間の町。なので長距離トラックは1台もなく普通車は自分も含めて3台。朝まで静かに寝れそうだ。
直ぐ近くにつきみが丘町民センターがありお風呂に入れる。

この道の駅を選んだのもこの温泉に温泉博士(毎月15日に発行される温泉紹介雑誌)のクーポンが使え無料で入れるからだ。
無料では入れてサイコ-
ただしこの温泉は古くてヘルスセンターの温泉の様だった。
本日は、会津若松市メインで観光の為あまり走行距離数は無い。
今日の行程。青◯→赤◯

走行距離62Km